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就農定住

若狭町プロジェクトの経緯と(株)類設計室の取り組み

『市場拡大の過去100年間、農村から都市に人口が移動し、価値観そのものも都会第一へと収束したが、市場縮小の現在、全ては都市から農村へと逆流することになる。既に価値観レベルでは「自然収束」「癒し収束」という形で大きく変わりつつある』……という認識の下、「都市から農村へ」をテーマに、企画開発会議を行った。 

 

現況調査〜事業構想〜建物基本構想段階<H11年夏〜H12年10月頃> 

H11年の夏、三重県度会の矢部さん(有限会社アースラブ・ニッポン会長)を介して、農村総合公園整備を計画中の若狭町との出会いがあった。 当時、若狭町は観光農園を志向しており、類農園にその運営してもらいたいという意向をもっていた。 類設計室としては、企画開発会議の成果を「農村活性化企画」として編集し、町へ提案した。そして、即時的な「市場」に生活基盤を置く観光客を相手にするのではなく、都市の若者の就農定住を目標とすることを町の理事者らと共有していった。それを受け入れることができたのは、町に次のような素地があったためと考えられる。

農畜産業の状況

農業改善事業のついては全国に先駆けて着手し、過去、農業では施設園芸の取組み、畜産では養鶏10万羽構想や1000頭酪農を目指したが、いずれも市場の大きな流れに抗することはできず、現在は主に兼業による米単作エリアとなっている。現在、町では有機農業を町ぐるみで取り組もうと町が先導しようとしているところで、有機(低農薬)による米作と販売ルートの開拓が農業振興の課題となっている。また、全国の農村と同様、農業後継者・新規就農者の不足は喫緊の問題となっている。耕作放棄田も増えつつあり、近々にも、集落単位で耕作することもままならない状況となることが明らかであった。

 

集落社会の状況

昭和30年代までは集落単位で社寺があり、その檀家、氏子としての寄進の程度から強い序列社会を形成していたが(会合で座る順序も決まっていたという)、宇田町長が(その職員時代より)新生活運動(民主・自治)を推進し、現在の集落自治体制を作った。

 

その特徴は、

1.街頭電気代、集落センター、公園維持管理費、行事費等は区費でまかなう。(3〜4万/年・人くらい)、
2.道路整備等は特別予算として別途徴収(行政7割 集落3割負担で大きいもので500万/年もある)というように受益者負担を徹底し、したがって計画をどのようにするのかについて住民自身が真剣に議論する仕組みとなっている。区長は1年毎の互選で40歳代が中心。集落毎に世代ごとの自主学級をもち各種集落活動を行っている。そのような集落が45あり、一集落あたり40〜50戸で構成されている。総じて、「結(ゆい)」=相互扶助の精神と、「自主管理」の気風が強い。

 

この集落自治体制を支えるのが、町の役割となっている。そのため5つの旧村単位で公民館を置き、その館長は町の課長級が常駐し、各集落の相談窓口・自治支援を行っているし、道路・電気柵・街灯…集落3割負担が伴う事業にあたっての町の役割は、「補助金の取得」と「集落とのコンセンサスづくり」という点に集約できる。そのため、町の職員は、補助金体系を熟知し、県との密接な協議の上、柔軟で適切な運用を得意とし、昼夜関係なく集落の会合に出席することを日課としている。

「お上」という感覚とは無縁で、町民のコーディネーターとして行政が機能している様は、現在さけばれている「住民参加型行政」「行政によるアカウンタビリティー」の一つの先進事例とみることができる。

 

そして、現況調査と町との打合せを重ね、H12年春、若狭町「集落活性化」事業構想を策定した。

コンセプト

 若狭町の農村集落は、集落単位で、また、世代グループにより担われる祭や行事を通じて、課題と役割分担、相互扶助が自然と行われてきた。そこには、都市の表層的で貧弱な近隣関係ではなく、心情を共にする濃密な人間関係があり、それが集落の紐帯となり、活力の源泉となってきた。都市が限界と破綻の様相を呈し、市場社会が崩壊の瀬戸際にある今、改めて、若狭町の集落共同体は、これからの社会関係の有り様としての可能性をもつ。一方、都市の若者は、都市や市場の狂気と根無し草から脱し、仲間収束・自然収束に可能性を見出そうとしている。本事業は、集落の活性化とそのための若者の就農定住を目標に推進し、若狭町の発展・進化につなげていく。

 

事業構想

 「研修事業」「インターンシップ事業」「農業・農村体験事業」「農業生産事業」「直売・直販事業」を通じ、都市の児童・生徒・若者が、本来の農村・農業・自然を体験・学習し、農業の素晴らしさや農村の魅力を再認識し、若者の本格的な就農の契機とする。体験を通じて、若狭町に縁(えにし)を持つ都市のネットワークを形成し、町内農産物の販路拡大・特産品のファンを拡大していくものとする。そして、立上げから6年間で経営を自立させることを目標とした。 この段階で、町からの運営費補助は当初3〜5年は不可避だろうとの感触を得た。

 

事業構想策定後、事業の詳細計画・公園整備の与件設定という課題に取り組むにあたって、「類設計室としてどのようなスタンスで望むのか(第三農場なのか〜一部人材派遣するのか〜コンサルだけか)」「そのための社内共認をどのように取り付けていくのか」「類で取り組むとして、どの部門で誰が何を担当するのか」という体制方針をめぐっての逡巡があり、計画として足踏みしていた時期があった。ここまできてコンサルだけで済みようがない、一部人材派遣をしてでも経営を軌道にのせること、あくまでも新事業として取組み、発信していくこと…の整理を行い事業の詳細計画に入っていった。

 

 

事業構想実現のための詳細調査
〜人脈NW形成への取組み〜事業詳細計画
<H12年11月〜H13年2月> 

この段階で、国の補助金が前倒しに執行されることになり、施設計画が当初より半年くらい早く着手することになった。また、3月には、町議会や住民に対し事業の詳細計画を表明する必要があることから、類設計室としても事業成功の見通しと確信を持つことが切迫感をもった課題としてあった。特に、「都市とのネットワーク」をどのように形成していくのか、現地法人はどのように自立していけるのか、が大きなテーマとしてあった。そして、答えを外に求めていった。

この段階での事業構想実現のための詳細調査〜人脈NW形成への取組みは次の通り。

12.6

福井県農業試験場、作物・経営部、地域営農研究グループ
福井県青年農業者等育成センター

12.7

大谷大学・進路就職センター
花園大学就職課

12.8、15

大学コンソーシアム京都 インターンシップ事業推進室

12.8〜10

体験教育セミナーへの参加、
体験学習グループ立上げのきっかけとなる。

12.13

農交ネット(京大の援農サークル)

12.24

家の光協会

2.6

体験学習グループの初顔合わせ

2.9

体験学習グループ・メーリングリスト立上げ

2.23〜24

体験学習グループの初現地合宿…
体験学習ユニット「鯖っ人(鯖街道ワーキングネット)」と命名

この間の接触で明らかになったこと、リアリティーをもって認識できるようになったことは次の通り。

  • 福井県での農業・就農の状況

※概して福井県は、第二次産業事業所比率が全国で2番目→兼業先が多い→兼業率が全国で3番目・共働き世帯率全国2番目、という豊かな県。農業問題についての切迫感は低い。しかし、統計的には、2015年には男子農業従事者は半減する。

※その中にあって、県農業試験場の山田氏をはじめ、池田町の地域営農体制やJA青年部のリーダー(現町長)が中心となってのファームハウス「コムニタ」の動き、中川清氏(中核農家で生産者NWをつくろうとしている。EMの認証を受けている。あぜみちの会を主催)など県内の動きが粛々とだが確かにある。

※当プロジェクトは、集落生産組織・大規模農家による農地保全とは異なる上中スタイルを追究するという見方ができる。

※福井県の最近の就農者状況は(福井県青年農業者等育成センター扱い分)、ここ5年間で、反応150件/年、就農実績7〜8名/年。年齢は20〜60歳と幅広い。定年帰農の視野に入れるべき。尚、トータルの就農者39名中、県内32・県外7。また39名中、学卒は6名でほとんどが県内。就農者の行き先は、水稲は経営が不安定なので、畑作・花卉にいく。そのため畑の多い坂井郡にいく傾向が強い。

※新規就農者募集の広報は、田舎情報への掲載・デューダ(年4回)・新規就農相談会(今年は10回近く、東京・大阪・福井で開催)。最近では、サラリー農業者のニーズが高くなっている。是非そのような体制が福井県にも欲しい。研修体制が明確になればセンターからも研修生を送りこめる。

 

大学・学生の状況からの考察 ・ 就職スケジュールは、3回生の7月に就職ガイダンスが始まり、後半は就職活動をしていく。4回生の4〜5月に内定をもらうのが卒業生の3割。9月までに5割決まり、卒業までに残りの5割が何らかの進路を決める。就職協定がなくなり3回生という早期に募集活動を進める企業の現実、自身のやりたいことがいつまでたってもはっきりしない学生の状況、相談にのり、せっつくことしかできない大学の就職課…という中、一つの選択肢として「学卒就農」は大学の進路指導としても十分あり得る 。

※大学就職課として、学生の製造物責任を果たせていないという悩みがある。大学の入口では、偏差値という一つの指標で評価されていたのに、出口では、企業からは多様な人材が求められる。一方、企業から最低限のマナーなどは大学で教えておいて欲しいという要請が再々寄せられる。そういう点で「学生のキャリアアップ・多様な体験」「人間的魅力を育てること」が重要な視点となる。その点でインターンシップは重要な事業で、農業インターンシップは、就農の入口(=大学の出口)として有効であると同時に、在学中の学生の体験・キャリアアップ・全人教育の手立てとしても有効であろう。

※大学就職担当の親しい横のつながりで情報交換を頻繁に行っており、口コミ効果が期待できる。

※10年間就職課にいるが、農業希望者は2〜3年に1人くらい。そのときはJAに問い合わせたりした。現在のところ、就農ニーズは目立って顕在化していない。これは、気軽に農業に入れる仕組みがなく、また、先の見通しがつきにくいことが一因と考えられる。(研修一つとっても、家族経営農家に組み込まれることには抵抗感があるし、独立のイメージがはっきりしていない可能性が高い。)「組織経営」「非雇用農業者=サラリー農業者」「全員経営参加・手作り経営」「新しいビジネスモデルづくり」を売りにしていくのが良い。

※大学コンソーシアム京都も、今後ともインターンシップ事業を拡大していく基本方向の中、農林水産業のインターンシップをしていこうという方針を持っている。そして、農水助成を獲得していけば、ベンチャーコースのETICのように、農業コースでは類設計室がコンソーシアムから受入先のコーディネート業務を受託できる可能性もある。都市と農村をつなぐネットワークそのものがビジネスとなりうる。

 

  • 若狭町企画の視点

※気軽に行くには距離の問題は大きい。継続的に一泊二日の活動を組み込むためには、十分に「癒しニーズ」(=育てていく楽しみ・人とのふれあい・収穫など目に見える形で充足できるプログラム…)

※「本物ニーズ」(=農村に住む・祭参加など地域との関わり…)に応えていく必要がある。

※都市に向けてのメッセージは「もう一つの田舎づくり」か?そのためには、「若狭町でやることの必然性」を分かりやすくPRする必要がある。

 

これらの動きに並行して、事業詳細計画を詰めていった。この段階で、当初の事業構想を肉付けする形でさらに明確にすると共に、いくつかの軌道修正を行った。

この段階での事業計画の追加修正ポイント

もともとの町の希望は、『類の第三農場にして欲しい』というものであったが、10年先をにらんだときには、類農園の色がほとんどなく、地元・そこで育った研修生によって自立しているのが望ましい姿である。そこで、現地法人の経営主体は、そこに参画する経営陣とすることにし、類は、「ノウハウ・運営管理の主体」の面で責任を持って支援していく。

※末野集落からも現地法人に参画してもらうことが必要なため、町内からも人材を公募することにした。

※法人の性格から言っても、信頼性を高めるためにも町から優秀な人材の出向と出資をしてもらう。

 

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町内へのお披露目段階<H13年3月〜>

事業概要がまとまったことから、町内に対するお披露目が2月末から断続的に行われた。これまでの動きは次の通り。 更に今後、末野集落総会でのお披露目、担い手農家との密な会話等が予定されている。

 

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